体験者の声

   

うつを克服し、SEからカフェ店員へ転身したMさん(30代・女性)

 

三度目のうつ再発

私が高橋先生とお会いしたのは、うつが再発して三度目で、会社を休職して二カ月たった頃でした。
再発と言っても、薬で症状が抑えられていただけで、薬を止めるとまた落ち込むという繰り返しだった気がします。
それまで病院に行ったり薬を飲んでいることも周りには隠していましたし、メンタル的に弱いと思われたくない、早く抜け出してラクになりたいのに…と思っていました。

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ひきこもりから抜け出して Kさん(20代・女性)

 

動けなくなるまで

私は大学1年のときに学校へ行けなくなり、そのまま家に2年半、ひきこもっていました。
私が変わったなと自分で思うのは、中学受験のための進学塾に通い始めたときです。
それまでは、外遊びが好きで、男の子とも遊ぶ活発な子どもだったんです。でも塾にいると、自分が自分でないような気がしたのを憶えています。

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楽しいときは笑えるようになった  Fさん(40代女性)

 

ストレスで手足のしびれやめまいが・・

わたしはごく普通に暮らしてきて、人と話すこととケーキが好きなので、ずっと洋菓子販売の仕事を続けてきました。
仕事もプライベートもとても充実した毎日を送っていましたが、派遣で洋菓子販売の仕事をしていた頃、世の中が不景気になり、派遣からアルバイトに移行する企業が増えたため、洋菓子の仕事が大幅に減り、働くところがなくなってしまいました。

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要所で支えてくれた救世主  Mさん(50代女性)

私は上司のいじめにあって前職を辞めたあと、うつになってしまい、2年以上、寝込んでいました。
少し動けるようになってからは、クリニックに通院したり、ネットで見つけた心理学講座を受講したりして、少しずつ気力を上げていくよう、自分なりに努力していました。

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うつを克服しカフェ店員へ転身

 
 
 
三度目のうつ再発
  
私が高橋先生とお会いしたのは、うつが再発して三度目で、会社を休職して二カ月たった頃でした。再発と言っても、薬で症状が抑えられていただけで、薬を止めるとまた落ち込むという繰り返しだった気がします。それまで病院に行ったり薬を飲んでいることも周りには隠していましたし、メンタル的に弱いと思われたくない、早く抜け出してラクになりたいのに…と思っていました。

当時の私はSEで、社内で残業NO.1の部署にいました。通常業務に加え、職場環境を改善するプロジェクトチームのメンバーにも任命されており、長時間労働削減を検討するために残業をするような、非生産的な仕事ぶりの毎日。同期とは会うたびにお互い「会社辞めたい。でも他にやりたいこともわからないし…」と話していて、それが普通なんだと思っていました。

結婚二年目で子どももほしかったのですが、持病もありなかなか妊娠せず、体調を整えたいのは山々でも、そのために会社を辞める決断ができませんでした。人 並の収入や正社員という安定を失う漠然とした不安があり、辞めた後の方向性も全く見えなかったからです。 せっかくだから産休も利用したいし…と思考は堂々巡りで、今思えばかなり欲張りなのですが、周りの環境や世間的なメリットを重んじて「自分は何がしたい か」なんて考える余裕がありませんでした。

食欲はなく夜は眠れなくなり、仕事は手につかず、微熱と不安や緊張、絶望感が続くようになりました。残業帰り、深夜の横断歩道で「このまま車に轢かれたら明日出社しなくてすむなぁ」と思ったのを覚えています。
 
 
ついに休職
 
それまでは薬でなんとか症状を抑えて仕事を続けてきましたが、このままではずっと再発を繰り返して子どももつくれないかもしれない…自分の人生で本当に大事なものを犠牲にしている…という気持ちもあり、ある朝、出社するのをあきらめてしまいました。

その後、やはり職場の人に自分がうつだということを知られたくないという葛藤もあり、何度か出社したのですが、主人と医師のアドバイスで上司に相談し、結局、期間未定で休職することになりました。しばらくは会社に行かなくていいと少しだけラクになった部分もありましたが、休んだ直後は恥ずかしさと職場に迷惑をかけている罪悪感、休職という事態に陥ってしまった挫折感、後悔の念でいっぱいでした。

休職したとき、最初にかかっていた医師は休職期間を指定してくれず、会社も医師の判断に従うといった形で、いったいいつまで休んでいいものか、休めば治る ものなのか不安でしょうがありませんでした。またこの頃、あまり薬に頼りたくない旨についても医師に相談したところ、薬は処方されなくなりました。なので 最初の二週間くらいはネットでがむしゃらに同じような境遇の人について調べたり、うつ克服DVDの7日間プログラムをやってみたりしていました。

一カ月くらいたつと、食欲や睡眠はよくなってきた一方、不安や緊張は消えず、気づくと涙が出ているような状況でした。体調は戻ってきたのに出社も退社も決められない罪悪感や焦りが強く、その頃は本などにも集中できるようになっていたので、認知行動療法に関する本を読みあさって、うつになった原因を分析しました。しかし理解はできても、しっくりきませんでした。

その頃、医師には治ったと言われたのですが、会社の産業医からはもっと長期で休むように言われたりで、このままではらちがあかない、しっかり治したいと思うようになり、カウンセリングを受けようと決め、高橋先生に出会ったのです。
 
 
実践的なカウンセリング
  
以前、不調に陥ったときもカウンセリングを受けたことはあったのですが、いわゆる傾聴方式で、小一時間話を聞いてもらうだけでした。

高橋先生のカウンセリングでは、身体や潜在意識に注意を向けるといった、能動的に働きかけるメソッドが多く、ふだん頭でっかちな思考に抑えられていた潜在意識の存在に気づいたときは、自然と涙が出ました。また、頭で考えていることは意外と勘違いや偏りがあって、潜在意識や自然の流れに身を任せると、ラクな方向に行くものなんだということもわかりました。

その他にも数々の実践的なメソッドを施していただくなかで、徐々に「自分はどう在りたいのか」ということに目が向けられるようになっていった気がします。
 
 
家族のこと
 
うつになった要因の一つとして、私は自己肯定感が低く他人を気にし過ぎてしまうところがあり、それは生い立ちにも関係があるのだと思います。

幼い頃、両親は離婚し、母はパートで働きながら私を育ててくれました。「結婚なんかせずに働き続けていれば今頃は…」という母のボヤキに違和感を覚えながらも、自分は将来無難な道を選んで結婚しても仕事を続けなければ…母を守らねば…という思いがありました。自分の夢のために不安定な生活を送るとか、やりたいことを学ぶために学費の高い学校に行くなんて、無意識的に選択肢に入れることができなかったんです。

休職中も主人は肯定的に見守ってくれていたのですが、母とは休職が長引くにつれ何度か衝突することもありました。今でも母に苛立ちを感じてしまうことはありますが、カウンセリングを重ね、それでいいんだと思えるようになりました。母に対して可哀想とか守らなければならないと思う必要はないんだと。親子とはいえ、別個の人間なんです。
 
 
不安がやわらぐ
 
転院して漢方の処方をもらい、隔週でカウンセリングを受けはじめて、徐々に不安がやわらいできました。休職期間については、医師から半年くらい休むといいと言われたのですが、罪悪感もあり、ひとまず3カ月としてもらいました。 それまで1カ月単位で延長していて、期限が迫るたびに焦っていたので、まとまった期間休めたおかげで、だいぶ心に余裕が出てきたと思います。

また、生活リズムを崩さないとか、散歩など外に出るようにするという、うつ休職中の心得的なものがあり、私も極力そうしていましたが、だんだんと無理をしている気がしてきたんです。

もともとインドア派ですし、外に出たくないのはマズイのかな~と、引きこもり脱出法をネットで検索している際に「すべての自分にオッケーを出して自己肯定 感を高める」というキーワードを見て、とりあえず一週間、ただ自分のしたいようにして、ひたすら自分を肯定してみようと思いました。

外に出ずに一日中、家でぐったりしててもいいし、朝起きられなくてもいい。
そうこうしているうちに、ゲームやってみようかな…とか、ちょっと凝った料理を作ってみようかな…とか少しずつ、楽しいかもということが出てきたんです。

特に料理をしているときは心が落ち着く感じがあって、いろんな料理やパン、和菓子などを作ってみました。それでも、三カ月の休職期限でもある12月末には結論を出して新年を迎えたいという気持ちがあり、年末に近づくにつれて焦りが強まってきました。

そして結局、結論を出すことができそうになく、また落ち込む日々…。そんなときも、高橋先生は気長に付き合ってくれました。いつか自然と決められる日が来るから、と。本当に、月2回のカウンセリングは心強かったです。
 
 
年が明けて・・
 
年明けに初詣に行き、おみくじを引いたら大吉でした。そしておみくじのメッセージがとても心に響くもので、今こんな状態だけど、今年は良い年になるに違いない…と思うことにしました。

なんだかんだエネルギーは溜まってきていたのか、会社のことで結論は出せなかったかわりに何かしてみようという気になっていました。そこで高橋先生に勧められた、メンタルケアに関する無料セミナーに参加してみました。それまで対人恐怖的な心境もあったのでセミナー参加はハードルが高かったのですが、ふと行ってみようという気になったんです。

行って正解でした。現代のうつ病のメカニズムやネガティブ思考を切り替えるテクニックとか、高橋先生のカウンセリング同様、とにかく実践的なんです。そし て何より、セミナーに参加されているのは闘病中の方が多く、面と向かってお話しするなかで「自分だけじゃないんだ、恥ずかしいことではないのかも・・」と 思えてきました。部屋で1人で悩んでいたり、ネットで調べるだけでは絶対わからなかったことです。
 
 
夢が見つかり、ついに退社
 
復職しても結局は同じ生活を繰り返すイメージしかなく、最初の頃から退職へ気持ちは傾いていた気がします。でもそれを上司に伝え、久しぶりに出社してお世話になった方々へ挨拶まわりをすることなどを考えると、とても自分にはできないと思いました。

カウンセリングやセミナーで「夢や目標があると、目前の障害や身体の不調はたいして気にならなくなる」ということを知りましたが、まさしくそのときは「心の近視状態」で、目前のこまごまとした作業が大きくのしかかってくるような心境でした。

決断して動き出せない状態はつらいもので、天職に関する本を読みあさって自分のやりたいことを探そうとしました。ある本に「人生のおよそ三分の二は仕事が占めるので、いやいや仕事をしているのはもったいない」「やりたいことはたいてい心の中にあるが、どうせ無理と見ないフリをしてしまう。まずはちょっと楽しいと思うことをどんどんやってみること」とありました。

たしかに料理は好きかもしれない、と思いました。休職中は社会から隔絶しているというか、1人家で孤独を感じることもあり、近所の寂れた商店街にある喫茶店の、ゆっくりそこにいさせてくれる雰囲気に心癒されました。セミナーで同じように悩んでいる人と繋がることに感動を覚えました。

カウンセリングで高橋先生に、「もし三億円あったら何をする?」と聞かれて、考えたら、最初は「ローンを返済して余りは貯金」だったのが、「カフェを開く」という妄想になってきました。好きなことを生かして、地域の人に家庭でも仕事場でもない第三の居場所や癒しを提供できたら最高だなと。

そんな妄想を続けていたある夜、とたんに面白くなって、次々とアイデアが浮かんで眠れなくなりました。立地と間取りやメニュー、同じようにうつを病んでいたジャズシンガーの友人に夜は歌ってもらおうかとか、植物が好きな友人には野菜を自家栽培してもらっ て…など、このご時世に考えが甘いとか言われそうな、本当に妄想ですが、そうこうしてるうちに、「飲食方面に行くのであれば早く会社辞めないと! 辞める ときに多少失礼があっても仕方ないよね」と思いはじめました。

それから上司に連絡するまで、日によってはまた逆戻りするときもありました。でもコントロールできない気分によるものではなく、いろんな自分の面が葛藤し ているのだと思いました。新しいことをやってみたい冒険家、安定を求める公務員、健康を第一に考える自己福祉士、対外的な対応をする社交家などの面が心の 中で会議を行い、最終的には協力体制に入ってくれたような感じで、上司に連絡することができました。

挨拶まわりはしんどかったので、休日の夜に荷物整理に行った際、お菓子とメッセージを一人一人の机の上に置いてきて、お詫びとお礼の気持ちが伝わることを祈りました。
 
 
次の仕事を探す
 
退職が決まってから、本格的に求人を見たりするようになりましたが、半年以上のんびりしていたので、きちんと朝起きて働けるのか不安でした。

面接なんて就活以来ですし、応募の電話をするにも緊張してなかなかできないんじゃないか、このまま何も変わらないんじゃないかと思っていました。でも同時に、会社を辞めたら本当に自由で、今までやってみたかったバイト等、何でもチャレンジしていいんだという開放感もありました。

とりあえず見つかればラッキーくらいの心持ちでいようと思った矢先、夜にたまたまネットで最寄り駅のカフェの求人を見つけました。しかも自然療法に興味が ある私にとって心躍るような健康志向メニュー。働いてみたい! と純粋に思いました。掲載期限も近く、早く電話しないと締め切ってしまうかもしれないと心 配になり、翌朝さっそく電話しました。

緊張するから電話したくないと思っていたのが嘘のような行動力を発揮し、面接もこなして、三日後には採用が決まりました。もちろんかなり緊張はしましたが、本当にやってみたいことだったので、頑張れたのだと思います。
 
 
あこがれのカフェで
 
長らく立ち止まっていたものが、動き出す感じがしました。あとは難しく考えたり焦らなくても、そのときが来れば自然と動き出せるものだったんだと思いました。
カフェで働くようになってはじめのうちは、慣れない手つきで怒られたり、緊張したりしました。でも、落ち込んだときには「自分はこう在りたい」と考え、気持ちを切り替えるようにしています。周りのいろんな人をお手本にして、これから頑張っていきたいと思います。
 
 
振り返ってみて
 
休職に至るまでの数年と休職中は確かにつらいものでしたが、うつになっていなければわからなかったことがいっぱいありました。
社会では、環境や人の価値観に左右されて「自分が本当はどう生きていきたいのか」を尊重できないことは多々あると思いますが、一度立ち止まって考える時間をもらえた自分はラッキーだったと思います。

今は季節を感じる余裕もあり、朝起きるのもそれほどつらくありません。とても人生がラクになりました。私がここまでこれたのは、私の中の「自分らしさ」に注目し、信じて見守ってくれた高橋先生のおかげです。これからも悩むことはあると思いますが、やはり一度きりの人生、やりたいことをやって生き生きとしたいです。
そのほうが、もし子どもができたときも、良いお母さんになれる気がしています。
 
 
 
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ひきこもりから抜け出して

 
 
動けなくなるまで
 
私は大学1年のときに学校へ行けなくなり、そのまま家に2年半、ひきこもっていました。私が変わったなと自分で思うのは、中学受験のための進学塾に通い始めたときです。それまでは、外遊びが好きで、男の子とも遊ぶ活発な子どもだったんです。でも塾にいると、自分が自分でないような気がしたのを憶えています。

中高一貫の私立中学に合格し、友達もできましたが、なんとなくいつも、自分はここにいさせてもらってい る、という感じがしていました。高校で不登校になり、通信制の高校へ編入しました。そこで大学受験クラスに入り、受験指導の先生がとても面白い先生だった のと、学校から期待されていたこともあって、けっこうまじめに勉強しました。

大学には合格しましたが、今思えば、はじめからあまり行く気がなくて、夏くらいから行かなくなりました。結局、退学してしまったのですが、親のお金をむだにしてしまったことを申し訳なく思っています。大学に行かなくなってから、喫茶店や小物の店でアルバイトをしましたが、どれも続かず、3日とか、1週間とかで、自分からやめてしまったので、私は何ひとつ続けられないんだと、ますます落ち込みました。

それからは、たまに友達と出かける以外は、家にいました。精神科クリニックに通院したこともありますが、薬をのむと気持ちが悪くなったので、やめてしまいました。母は性格が強いほうなので、私は自分の言いたいことが言えずに、自分の部屋で一人で泣いてしまうことがよくありました。でもそうすると、母も心配して、隣に座っていてくれました。それ以外は、比較的、家で落ち着いて過ごしていたと思います。
 
 
ちがう見方が新鮮
 
ひきこもって2年が過ぎたころ、そろそろ何かしてみようという気になり、ネットを探していて、カウンセリングを受けてみることにしました。

じつはクリニックに通院したときにもカウンセリングを受けたのですが、私はあまり自分から話すほうではないので、しーんとしてしまって、続かなかったのです。もう少しちがうカウンセリングはないだろうかと探して、高橋先生のカウンセリングを受けてみようと思いました。少し遠かったですが、あえて早起きして、午前中に行くようにしました。

私は、自分は何をやってもダメ、こんな自分が嫌い、という自己否定の気持ちが強かったんですが、高橋先生は、そういうのは子どもの頃につらい経験をして、そう思い込んじゃっただけで、本当はちがうし、その思い込みは取れるから大丈夫、と言ってくれました。バイトをやめたときのことを聞かれたので説明をしたら、「それはやめても仕方なかったね。いやなのにむりして続けないで、すぐ見切りがつけられるのはすごいね」みたいに言われて、そんな考え方もあるのかと驚きました。

両親のことや、子どものころの怖かった体験などを話しているうちに、英語が好きだったことを思い出しました。それに、大学を退学するまで続けていた家庭教師のバイトでは、小学生に勉強を教えるのが楽しかったことも思い出しました。

 
 
やりたいことが見つかった
 
いつもカウンセリングから帰ると、勢いでいろんなことをネットで調べました。そうするうちに、子どもに英語を教えたい、と思うようになりました。

そのための資格がとれる講座があることもわかりました。興味はありましたが、でも、続けられる自信がなかったので、親にはなかなか言い出せませんでした。もしまた行けなくなって、お金をむだにしてしまった ら・・と思うと、とても言えなかったんです。それに、子ども相手の教室というのは、動画を見ると、どれも講師のテンションがすごく高いので、私にはむりか も・・という不安もありました。

心の中で一進一退をくりかえしてばかりいて、なかなか行動できずにいましたが、高橋先生は、「動けるときが必ずくるから大丈夫。そのときは、パタパタって動いちゃうから」と言っていました。明日はカウンセリングだ、と思った日の夕方、思い切って、受けたい講座があることを、母に言いました。「私はもう口出さないから、あなたの好きにしていいよ」と、母は言いました。私はその言葉を聞いて、また部屋にこもって泣いてしまったんです。

「お母さんに突き放されたような気持ちになっちゃったんだね。でもたぶん、お母さんそんなつもりではな かったんじゃないかな」と、先生は言いました。母は何でもまず頭で考えるヘッドタイプで、私は気持ちが優先するハートタイプだそうです。本当ならハートタ イプの子どもには、「思い切って言ってくれてありがとう、お母さんうれしいよ」って気持ちで返してハグするのが大正解だけど、お母さんはヘッドタイプだか らそうできない、でも、考えて正しいと思うことを言っただけで、冷たくするつもりは全然ないのだと。たしかにそうかもしれないと、母のことが腑に落ちまし た。

ハートタイプの人は、気持ちをくむのが上手だから、子ども相手の仕事は向いていると言われて、だんだんその気になってきたんだと思います。人の言うことにすぐ傷つかないですむように、また子どもの気持ちが理解できるように、心理の勉強もしたくなりました。

その日はカウンセリングの後、思い切って電話をかけて、体験講座を申し込みました。 もしその講座でうまくいかなくても、またほかを探せばいいんだと今なら思えます。講座に通うのに慣れてきたら、小学生に教えるバイトを探してみようかとも 思っています。そして、早く家を出て、自活できるようになりたいです。まだまだこれからではありますが、こうして前向きな気持ちになれたこと、やりたいことが見つかったこと、そして母親との関係がずいぶんよくなったのは、高橋先生のおかげです。お話だけでなく、いろいろなワークもしていただき、とても楽しかったです。

本当にありがとうございました。

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楽しいときは笑えるようになった

 
 
ストレスで手足のしびれやめまいが・・
 
わたしはごく普通に暮らしてきて、人と話すこととケーキが好きなので、ずっと洋菓子販売の仕事を続けてきました。
仕事もプライベートもとても充実した毎日を送っていましたが、派遣で洋菓子販売の仕事をしていた頃、世の中が不景気になり、派遣からアルバイトに移行する企業が増えたため、洋菓子の仕事が大幅に減り、働くところがなくなってしまいました。

派遣会社からは他の仕事を勧められましたが、わたしは洋菓子の仕事がくるのを待ち続けました。長くこの仕事を続けてきたし、興味を持てない商品を販売する気にはどうしてもなれなかったからです。派遣なら何でも販売するのがあたりまえで、他の人から見ればただのわがままにしか見えないのは自分でもよくわかっていました。

派遣会社から電話がこなくなって2ヵ月くらいたった頃、焦りと不安が出てきて、アルバイトでもいいから仕事を探そうか・・・それとも派遣の仕事が来るまでもう少し待とうか・・・と、これから先のことを考え、夜なかなか眠れなくなりました。身体の不調も出はじめ、毎日とても辛くなり、身体も頭も休まるときがありませんでした。仕事をすれば元の自分に戻れるかも、と思うときもありました。

そんなときに派遣会社から電話があり、以前からあまり良い印象のない惣菜店の仕事で、ふだんの私なら断っていましたが、そのときは現状から抜け出したい気持ちが強く、「やります」と言ってしまいました。

今思えばすでに、軽いうつ状態だったと思います。そんな状態で仕事を始めたところ、3ヵ月くらいたって身体に異変が表れてきました。職場に1人ちょっと合わない方がいたのと、慣れない仕事のストレスから、手足がしびれたり、めまいや腹痛、強い不安感が襲ってくるようになったのです。売り場でこんな状態になるのは初めてだったので、いったいどうしちゃったの? と頭が混乱してしまいました。売り場に立つとまた症状に襲われるかも・・・と心配すればするほど症状が表れてしまい、仕事が手につかず、結局半年で退職せざるをえなくなりました。
 
 
母に冷たく突き放されて・・
 
家で少し横になって休めば治るだろうと思っていました・・・が、それからがとても大変な日々の始まりでした。1日のほとんどを寝て過ごし、食欲もない私にたいする家族の態度が、少しずつ変わってきたのです。
とくに母は、今まで優しく接してくれていたのに私を避けるようになり、そんな母に「なぜ?」という気持ちと悲しみでいっぱいになり、さらに気力が失せて、その頃から吐き気も出てきました。唯一、姉は心配して腹痛と吐き気で病院へ付き添ってくれましたが、結果が異常なしだったので、売り場で体験したことを話しても、気分的なことでしょう、と心配してくれなくなりました。

それから数ヵ月、変わらず不安感と腹痛と吐き気に耐える日々が続きました。いつもより元気がない飼い猫の心配をしている母と姉の様子を見て、私は猫以下の存在なんだと思い、今まで可愛いがっていた猫も可愛く見えなくなっていたとき、さらに悲しい出来事が起きました。当時、お風呂に入ると吐き気がひどくなるので、週に1回くらいしか入れなかったのですが、そのせいでニオイが出ていたらしく、母に冷たい口調で、「近寄らないで!」と言われたのです。

自分でも「この状態をどうにか変えたい」「こんな自分キライ!」といつも心の中で叫んでいるのに、血のつながった母のその一言は、だれに言われるよりも遥かに心にダメージがありました。そして母にたいする怒りと、突き放されたくない、という矛盾した感情をぶつけずにはいられず、お風呂に入れない理由や、今まで私に起きたことを説明して、わかってほしいと言いましたが、母は、「私はお風呂に入ると気持ちいいわよ」とだけ言って、その場を離れてしまったのです。

姉に、母にこんなことを言われた、こんな態度をとられた、と相談しましたが、姉は「母には母の考えがあったんじゃない」、「それは勘違いだよ」などと、私の言うことをすべて否定しました。わかってくれると思っていた姉も、母と同じでした。優しい母と姉のイメージが鬼に変わり、家族っていったい何? こんなに冷たいものだったの? 人生で一番どん底にいる私に寄り添っても、わかろうともしてくれないなんて、他人より冷たい・・・と心底ショックで、ひどく落ち込んでしまいました。
 
 
初めてのカウンセリングで・・
 
母とも姉とも口をきくのも嫌になって、ますます私は孤立し、ストレスがたまって症状が悪化し、すぐ癇癪を起こしたり、「母と姉のせいです」という遺書を書いて自殺しようと思ったりしていました。

あるとき姉と激しい口喧嘩をして、私が「死んでやる!」と叫んだ翌日、姉から「一緒に治そう」と言われました。

パソコンで姉と調べていろいろあった中に、こちらのHPで「母親との関係で悩んでいる方」という文字が目に入り、ここでカウンセリングを受けてみようと思いました。

「カウンセリング」という言葉は聞いたことはありましたが、自分が受けたことはなかったので初回は緊張しました。でも、とても優しい先生で、自分の気持ちすべてをリラックスして話すことができました。熱心に話を聞いて、不安をコントロールする方法など、いろいろ教えてくれただけでなく、自分の生い立ちにさかのぼって自分を見つめ直してみたり、体感を使ったカウンセリングなどもあって、気持ちがとても落ち着き、受けるたびに、キライだった自分が好きになってきて、前向きに物事を考えられるようになりました。

今ではお風呂に入って素直に「気持ちいい」と感じ、猫を見て「かわいい」と思えるのがとてもうれしく、人が人を癒す力ってすごい! と感謝の気持ちでいっぱいです。
まだこれから再就職ですので、ストレスで落ち込むこともあるかもしれませんが、以前のような状態まで落ちることはないと思えます。
いざというときは、またお世話になりたいです。本当にありがとうございました。

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要所で支えてくれた救世主

 
 
私は上司のいじめにあって前職を辞めたあと、うつになってしまい、2年以上、寝込んでいました。

少し動けるようになってからは、クリニックに通院したり、ネットで見つけた心理学講座を受講したりして、少しずつ気力を上げていくよう、自分なりに努力していました。それでも、減ってゆく預金通帳を見ながら、この年齢で就職先を探さなければならないと思うと、先行きの不安でどうしても気分は落ち込みがちでした。 前職が、高収入でステータスもある仕事だったため、いっそう今の自分の状態が情けなく、落ちぶれた感が強くて、本当につらい毎日でした。

そんなとき、高橋先生に出会ったのです。

カウンセリングにくることで、まず、私のつらさをわかってくれようとしている、あるいはわかってくれている人がいるんだ、という心強さを感じました。そし て、私はひとりではないんだ、という気持ちにもさせてくれました。一人暮らしの私にとっては、それだけでもとても心強いサポートとなったのです。

それから、堂々巡りのネガティブ思考に陥りがちで、早く死んでしまいたいとすら思ってしまう私を、あの手この手でひきあげようとしてくれ、いろいろなことに気づかせてくれました。

自分がいかに、収入の多寡にこだわってきたか、稼ぎが多い人ほど価値が高い、という思い込みを持っていたこと、また、他人からどう見られているかをすごく 気にしていることにも初めて気づかされました。本当は、人の助けになりたい、いるだけで周囲の人が安心できるような存在でありたいと思っていることにも初 めて気づきました。

カウンセリングで支えてもらいながら、気力を保ってなんとか就職活動を続けるうちに、幸いにも正社員で採用が決まったのです!ですが、いざ勤めはじめてみ ると、零細企業でしたので、私にはとまどうことが多く、働きはじめてからも、高橋先生にはずいぶんお世話になりました。

急にひどく落ち込んでしまったときなど、思わずメールでSOSを出すと、たいていはすぐにていねいな返信がきて、ちがう見方や考え方に気づかせてもらい、安心することができました。

最近では、仕事にも少し慣れてきました。こうして生きていられるのも、これまで要所で支えていただいたおかげで、高橋先生は私の救世主だと思っています。
今後も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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